おもいつかない

タイトルなんておもいつかないような日々

ギターの話2

 

前回からの続き

 

さて、買ってもらったその日に弦が切れてしまったギター。家族の誰にも言えずに悶々と過ごした翌日の中学校でのこと。同じクラスの友人にその話をした。

その友人は本多という名前で、「本パー」と呼ばれていた。パーなのは頭の中ではなく外側。髪の毛がもじゃもじゃの天然パーマだからであった。二卵性双生児の姉がいて、その子も見事なもじゃもじゃさんだったな。

そう言えば本パーが初めて私に話しかけて来たのは、クラスで好きな芸能人だか歌手だかのアンケートで私だけが「アリス」と回答していたのを知って「実は俺も」ということだった。本パーは「ゴダイゴ」と回答していたのに。まぁ中坊男子が「アリス」と書いたり言ったりするのが何となく恥ずかしいのは分かる。

話しが逸れたが、ギターの話を聞くや否や、「ギターを買ってもらえる話があったなら最初に俺に言えよ!」と。何と本パーはギターが弾けると言うではないか。今日帰ったら予備の弦を持って行ってやるよ。と。

で、早速来てもらって弦を交換。チューニングのコツや、ジャカジャカする為のピックとゴム製のカポタスト(キーを変えるためにギターのネックに取り付けるもの)まで頂いてしまった。本パーは新聞配達のバイトを続けていて、私からは大人並みのお金持ちに見えていたな。

他にも、当時「北区瑠璃光町 太陽サウンドオン!」のCMでお馴染みだった大型楽器&レコード店に自転車で一緒に連れてもらってアリスのお勧め楽譜を教えてくれたり、彼が懇意にしている店員のお兄さんにマーチンとギブソンの違いなど教えてもらったりと、暗雲立ち込めていた私のギターライフを煌々と照らしてくれたのであった。と言うよりも、本パーが居なかったらギターは続けていけなかったと思う。

無事に1弦が取り付けられたギターで練習に励み、Fコードも押さえられるようになり、私が本パーと一緒に弾けるレベルまでになるとよく録音をした。もちろんラジカセの前で一発録りだ。ステレオラジカセで内蔵マイクも左右の端についていたので、ちゃんと2人のギターが分離されて聴こえて、当たり前なんだけど凄く面白く感じた。

最初に録ったのはチャンピオンが収録された「ALICE VII」というアルバムのオープニング曲「Wild Wind -野生の疾風-」だった。これの録音を父親に聴かせたところ、「こっちの方が上手いな」と正確に本パーの方を指差していたのも覚えている。

 

そんなこんなで一緒にギターを楽しむ日々を送り、中3の夏休みが終わった頃、本パーが新しいギターを買うと言う。狙っているのはモーリスの谷村新司モデル。定価10万円だ。何でも新聞配達に加えて夏休みに青果市場でもバイトしていたらしい。ダラっと過ごしていた私とはえらい違いだ。

ダラっとしていても物欲だけはいっちょまえに持ち合わせている私もそれを聞いて新しいギターが欲しくなる。毎月の小遣い(中学の時は三千円)の残していた分と郵便局のお年玉貯金を合わせれば10万は無理でもその半分なら何とかなりそう。で、母親にお年玉貯金を使わせてくれるよう頼み込んだ。

親にしてみればギターのためだけに生きているような息子に見えていただろう。何せ学校から帰ってくると直ぐにギターを抱え込み、「先に晩飯食えー」「先に風呂入れー」「もう遅いからいい加減止めろー」と言われる合間ずっと弾いていたのだから。TVなんて音楽番組以外何も観ていなかったな。

そんな息子の唯一の楽しみであるギター。父親も一番安いギターを選んで買ってきたのを覚えていたのか両親から許可を得ることができた。

 

そしていよいよ本パーと一緒に自転車で北区瑠璃光町へ。彼は艶消しサンバーストのMG-100STというギター。ヒゲモデルと呼ばれていた両側にピックガードのついたのと迷っていたが、最終的にオーソドックスなのを選んだ。

私は同じくモーリスのW-50Sという、マーチンD-35のコピーモデルのテカテカサンバーストだ。バックが3ピースで表面はスプルース単板。それまでの1万5000円とは音が全然違う。何よりも今までのは弦高が不良品レベルで高くて、ゴム製のカポタストを1フレットに付けてもカポが押さえきれずに音が出なくなるほどだったのだ。本パーからも「これ良くないよ」と言われていたくらい。で、新しいギターを手にすると2ランクくらい上手くなった気がする程違っていた。

本パーの10万円は立派なハードケースが付属していたが、私の5万円は付いていない。今までのもビニール製でソフトケースというよりファスナーのついたただの袋みたいなのだったので、ハードケースの一番安いのも同時に買った。確か5千円しなかったくらい。ハードと言ってもペコペコしていて、上に腰を下ろしたら間違いなく中のギターまで壊れるだろうなってくらいだったが嬉しかった。シワシワのビニールでできた袋と違って持っているだけでプロっぽいからだ。

 

そして左手で自転車のハンドル、右手にギターのハードケースをぶら下げて持ち、矢田川の堤防道路を一緒に帰ったあの日。中学時代の最高の思い出。もしかしたら人生の中でもそうなのかもなぁ。

 

ヤマハの15,000円ギターはというと、ちゃんと使っていた。高校(本パーとは別になった)でフォークソング部に入り、部室に置いて普段はそれを弾き、発表会や文化祭となると家から新しい方のモーリスを持って登校していた。皆からも「お、エースの登板だな」なんて言われていたっけ。

 

その後は社会人になってマーチンD-28とIbanez AM205が増えたが、やはり中学生の時のヤマハとモーリスの思い入れには及ばないんだよなぁ。

 

写真は当時実家で撮ったマーチンとIbanez  猫はヒマラヤンのチャオちゃん。

‘87とあるから22歳の時かぁ。(遠い目)

 

ギターの思い出話はとりあえず一旦お終い。